インドを放浪猫した後で日本に戻ってくると、
ああ、インドすごいな、発展がすばらしいなって、勝ち負けじゃないんですが、負けそうだって、思ってしまいがちなのですが、
そうじゃない。
日本人の研ぎ澄まされた感性、美しさ、刹那さ、情緒、奥行き。
それを詰めて詰めて捉える感受性。
そこ日本人の高尚さがあると。
何もないそこに自分なりの何かを見出すことのできる能力。
美意識の源。
そんな見出す情景を愉しんで頂けるTARAでの初めての水彩画の展示、竹内義郎さんによる「watercolor」
この水彩画は見る側によって如何様にも映る幻想的な世界。
描く竹内氏にとっても「まだ見ぬ像」「ヴィジョンの末裔と呼べるべきもの」「不可視なものが常にそうであるように、いつも遠くにあって近いもの」であるといいます。
例えば今の私にとって、この作品の捉え方は、TARA(ターラ)の語源となった菩薩や観音の存在感と通じるもので
瞬間に、好きだなぁ、と惹かれて
この作品を手元に置いておきたいと、いつも密かに眺めていたいという気持ちになりました。
そんな作品たちをこの9月のTARASalonにてお披露目させて下さい。
これまで油絵に取組んできた竹内氏にとっても初めての水彩画のみの展示となります。
7月の初め。
日本がヒートアップし始めた頃の土曜日、竹内さんと打合せさせて頂いたときのこと。
寡黙でエレガントな竹内さん。
言葉少なに作品をご紹介下さる真摯で謙虚なお姿になんともいえない安心感。押し付けのない心地よさ。
その場で一つの作品に釘付けとなり、私のwatercolorを選びました。
数ある作品のページをめくって、ふと心にフィットする心象を見つけて下さい。
Watercolors
白い紙を前にして何か頭の中のニュートラルな空間に形象が浸み出でて来るような、そんな幻想のようなものを水彩に対して感じていた。
しかし絵具を含んだ水が筆先から紙片の表面に触れる刹那、油彩と同様、媒体としての水彩もまぎれもなく物質であると否応なく痛感させられることになる。
物質に拠らなければ像を視ることは叶わない。ヴィジョンもまた具現化しない。ヴィジョンは未だ視ぬ像の出現性へのベクトルであり私の視線そのものだ。像への思慕はいつも媒体(物質)と表裏にある。容易に手なずけられない媒体への焦燥のうちに、今此処にこの紙片の上に現出するものは何だろう。
継続と逡巡がもたらすもの、それは明確なイメージとは言い得ないものかもしれないが、それでもそれは私の視線の残りもの、ヴィジョンの末裔と呼べるものである。
絵画は夢のようなものではなくいつでも現実だ。それはそこが初めから終わりまで視線と物質がまみえる場所だからである。紙片の上空で視線は凝視と一瞥を繰り返す。そうしてその時間の内に私のヴィジョンは物質として曖昧模糊を纏った形象として顕れる。それは不可視なものが常にそうであるように、いつも遠くに在って近いものであり、それでいて極めて具体的で小さい。
2023年 8月 竹内 義郎
今回こちら竹内さんの作品をイメージして制作された、
寿家 大黒谷寿恵さんによる琥珀糖菓子を添えて。
冷たいお茶もご用意して、お待ちしております。
【Yoshiro Takeuchi “watercolor”】
9/14(木)ー10/1(日) 12:00-19:00
作家竹内義郎さんは、期間中の毎週土曜日、15時ー18時に在廊いたします。
期間中の9/19.20.25.26.27はお休みとなります。